こんにちは、まっさんです。
今日は3月11日。
東日本大震災が起きた日ですね。
私は当時、愛知にいたので特に大きな被害を感じることはなかったのですが、
実は妻は当時ディズニーランドに友達といっていて、ディズニーで被災をしました。
当時はディズニーランド難民、なんていう言葉で新聞にも出ていましたね。
妻にその当時のことを聞いてみました。
ディズニーランド難民になった私
2011年3月11日、私は友人と一緒に東京ディズニーランドにいました。
楽しい一日になるはずが、一瞬で非日常に変わったあの日の出来事を、今でも鮮明に覚えています。
午後2時46分、私はちょうどファンタジーランドの近くを歩いていました。その瞬間、地面が大きく揺れ始めました。最初は「アトラクションの演出かな?」と錯覚したのですが、すぐに周囲の悲鳴や建物の揺れ方を見て、ただ事ではないと気付きました。
スタージェット(今はないアトラクションです)も揺れていました。
キャストさんたちは冷静に「しゃがんでください!建物の近くには寄らないでください!」と誘導していました。
私は友人と手を握り合いながら、地面にしゃがみこんで揺れが収まるのを待ちました。
揺れが収まった後も、余震が続き、パーク内のアナウンスでは「現在すべてのアトラクションを停止しています」と繰り返されました。
パレードルートの道幅が広い場所に集められましたが、情報はほとんどなく、携帯電話もつながらない。
当時愛知県在住だった私は、状況がわからず、南海トラフが起きて、地元はもっとひどい状況になってしまっているのではと怖くなりました。
Twitterだけが唯一の情報源でした。
そんな中でも、ディズニーのキャストたちは素晴らしかった。
パニックを防ぐために、「落ち着いてください」と優しく声をかけたり、ブランケットやお菓子を配ったりしてくれました。ミッキーたちは現れなかったけれど、キャストさんたちの笑顔が何よりの安心材料でした。
夕方になると、園内のレストランが開放され、無料で食事が配られました。
寒さと不安で震えていましたが、その温かさが心にしみました。
夜になっても状況は変わらず、電車も動いていないため、多くの人がパークに留まることになりました。
ディズニー側も屋内施設を開放し、毛布(アルミホイルのようなタイプを配ってくれました。
私はその日夜行バスで帰る予定でしたが、帰ることができず、チャイナボイジャーで一夜を過ごすことになりました。
まさかディズニーランドで一夜を過ごすことになるなんて、思いもしませんでした。
あの日を振り返って
あの震災で多くの人が命を失い、今もなお復興が続いています。
私の経験は「被災」と呼ぶには軽いものかもしれませんが、それでも人生の価値観を大きく変える出来事でした。
ディズニーランドは「夢の国」だけど、現実の世界の一部でもある。
あの日、キャストさんたちが見せてくれたプロ意識と優しさは、まさにディズニーマジックでした。
今でもディズニーランドに行くたびに、あの日のことを思い出します。
そして、普通に遊べることのありがたさを噛みしめながら、また夢の国を楽しんでいます。