“育児してるつもり”の夫だった僕へ

まっさんの独り言

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「ありがとう。そう言ってほしかっただけなんだよ」
妻がそう言った日のことを、僕は一生忘れないと思う。


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「家事育児、ちゃんとやってるつもり」だった

僕は共働きの父親だ。
子どもは小4の息子と小1の娘。
毎日バタバタしながらも、家族のために頑張っている。そう思ってた。

・ゴミ捨てしてる
・子どもの送り迎えしてる
・たまにご飯も作る
・休日は家族サービスしてる

「俺、けっこうやってるよな?」
心の中でそう思っていた。

でもある日、妻の表情がふと曇った。


妻のひと言が、胸に刺さった

ある夜、いつものように食器を洗い終えて、何気なく言った。

「今日は俺、けっこう育児やった気がするわ」

そのとき、妻が言った。

「うん……でも、ありがとうって言われた記憶、ないかも」

それだけの言葉だった。
でも僕には、それが雷みたいに響いた。


“してるつもり”は、自己満足だった

僕は、家事や育児を「やったか/やってないか」の視点でしか見てなかった。
でも妻が求めてたのは、**「気づいてくれてるかどうか」**だった。

・子どもの連絡帳を毎日チェックしてる
・名前のついた服を毎週洗濯して仕分けしてる
・時間を逆算して夕飯作ってる
・寝る前に子どもの情緒を整えてる

見えていなかっただけで、妻は毎日、**“家庭の司令塔”**みたいな動きをしていた。
僕はそこに、気づけていなかった。


変わったきっかけは、「役割」じゃなく「気持ち」

それから僕は変わろうと思った。

・「ありがとう」って言葉に出すこと
・「明日の予定、僕が確認するよ」と提案すること
・「疲れてる?」と聞くこと
・「今日、何が大変だった?」と聞くこと

家事や育児の“作業”じゃなく、
相手の気持ちを想像することに意識を向けるようになった。

すると、少しずつ空気が変わった。


「ありがとう」だけじゃ足りない。けど、ちゃんと伝わる。

ある日、子どもたちが寝たあと、妻がふと笑った。

「最近、すごくうれしいよ。やってることより、ちゃんと“見てくれてる”感じがして」

そう言って、カップのお茶を僕の前に置いた。

「ありがとう。そう言ってほしかっただけなんだよ」

この言葉が、僕の“育児してるつもり”を、ちゃんと“育児する父親”に変えてくれた気がした。


これからの僕へ

もし、過去の自分にひと言だけ届けられるなら、こう言いたい。

「それ、本当に“してるつもり”になってないか?」

ただタスクをこなすだけじゃ、家庭はまわらない。
気持ちを汲み合うことが、育児の本当の“共働き”だ。

そして、これは僕がまだまだ学びの途中にいる話。
明日もまた、やらかすかもしれない。
でも、そのたびに戻ってこれるように、この言葉を心に置いておこうと思う。

“育児してるつもり”の夫だった僕へ。
これからも、気づいて、向き合って、歩いていこう。

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